
法身の郷 阿遮羅塔
真言宗は弘法大師空海の開かれた宗派で、真言密教を教えの中心としております。真言密教では、宇宙全体・森羅万象の活動を大きな命ととらえ、その命をさらに最高の悟りを体現する人格体「大日如来」と仰いでおります。その命の展開する世界を曼荼羅(マンダラ)といいます。我々個々の命も、それぞれの縁に随って大日如来の命の一部を一時生かさせていただいていると理解いたします。我々も本来は曼荼羅の一員なのです。ですから、その個々の命が終わりを迎えれば、元の大きな命である大日如来に帰って行くのです。この命はいわば大日如来の分霊であり、我々の命の尊厳も大日如来と平等不二であるというのが弘法大師の教えです。大日如来は宇宙全体(法界)を身体としますので「法身」と云います。因みに2500年程前にこの世に現れ、人類に仏教を説かれた釈迦牟尼仏は、大日如来がこの世の人々に真理を教えるために出現された身体と見做して「応身」といいます。この宇宙観・生命観に基づき「法身の郷」と命名いたしました。 新成田山覚盛寺の本尊は不動明王であります。不動明王は大日如来が現実に悩み苦しむ人々を救うため化身された姿とされます。特に普通に説法し導いても言うことを聞かない強情で煩悩の強い者を力づくでも教化する仏様です。間違った悪い道を歩もうとする者は左手の羂索で縛り上げ、誤った見解を抱くものは右手の剣でその迷妄を断ち切ります。地獄や餓鬼・畜生道などの悪い境界にも下って行き、直接救いを垂れるので褌一つの姿です。悟りの心に安住して揺るぐことがないので盤石の上に居られます。如来や菩薩の下働きを買って出るため頭の上に蓮の台を乗せています。眉間に皺を寄せ、牙を上下に向き出し、怒りの表情を見せるのはどんな邪悪な魔類をも恐れさせ降伏させる力の表れです。背中に背負う火焔は智慧の光明が情熱の炎となった形です。 覚盛寺はこの不動明王に願念成就と除災招福を祈願する祈祷寺院でありました。しかしながら、信者様やご縁の方の要望もあり、亡くなった方のご供養も併せて行う必要が出てきました。生と死は裏表であり地続きです。命は必ず最後を迎えます。先に逝くものの菩提を弔い、自らの逝く末の安寧と加護を祈る場所として永代供養墓を造りました。「阿遮羅(アシャラ)」は不動の梵語です。不動明王と結縁して、大日如来の御許に帰るお墓という意味で「阿遮羅塔」と名付けました。